はじめに
従業員が住居から勤務先まで通勤するには交通費がかかりますが、それは従業員が日々働く際に負担になりますので、交通費に相当する「通勤手当」を支給している企業が大半と思われます。
この通勤手当ですが、基本的に従業員が「どこに住んでいて」「いくら交通費がかかる」のかを申告して、それに応じて支給されるシステムになっており、自己申告を信用するものとなっています。
悲しい話ですが、稀に、自己申告であることを利用して、実際の通勤経路とは異なる申告をして、実際に負担している交通費以上の通勤手当を受給しようとする従業員が現れます。
何かのきっかけで、過大な通勤手当を支給していることが分かった場合、企業としては厳正な対処(懲戒処分)を検討することでしょう。
「明確に、企業に損を与えている」ことを重視して、最も重い懲戒処分である解雇を検討する企業は少なくないと思われます。
東京地方裁判所平成11年11月30日判決は、数年間、通勤手当の不正受給をしていた従業員を懲戒解雇したところ、他の事情も併せて、解雇が有効と判断された事例です。
通勤手当の不正受給が発覚した場合に、当該従業員の処分をどうするか、検討する場面で参考になる事例としてご紹介します。
事例(東京地方裁判所平成11年11月30日判決)
昭和56年2月、XはY社に入社し、経理課に配属。
平成3年8月、Xは経理課から営業管理部業務統括課に配置転換された。
平成4年3月、Xは宇都宮市に対し、「東京都品川区から宇都宮市に転入した」と届出。
同年4月、XはY社に対し、住民票を示した上で、宇都宮市からY社勤務先(東京都品川区)への通勤手当として、1か月81,490円を支給するよう届け出た。その後にXとY社とで協議が行われ、通勤手当1か月50,000円が支給されることとなった。
同年8月、Xは東京都品川区に対し、「宇都宮市から東京都品川区に転入した」と届出。
平成5年10月、X宛の内容証明郵便が発送され、Xは東京都品川区の住民票上の住所地でこれを受け取った。
同年11月、大森簡易裁判所から、XのY社に対する給与債権について仮差押命令が発せられた。
平成6年9月、Y社はXに対し、宇都宮市内で生活していることの証明(公共料金の明細、領収書など)を求めた。
XはY社に対し、面倒を見てくれる共同生活者がおり、同人が公共料金を支払ってくれているので公共料金の資料は出せない、宇都宮市に居住していると言い張った。
平成8年8月、Xに勤務不良があること、通勤手当の不正受給があることを理由として、Y社はXを懲戒解雇とした。
Xは、Y社から、通勤手当として、平成4年3月から平成8年9月分まで合計金2,711,364円を受領した(宇都宮市から勤務先までという前提)。
Xの東京都品川区の住所から勤務先までの通勤の場合、この期間においてXがY社から受領できる通勤手当は、397,734円であった。
判 決
右認定事実に基づいて考えると、Xは、平成4年3月から平成8年8月に本件懲戒解雇をされるまでの間、終始、東京都品川区に居住しながら、Y社に対しては、平成4年3月に宇都宮市に転入した旨の住民票を提出して転居の届出をし、この住民票上の住所とY社の所在地(東京都品川区)との間の通勤手当の請求をし、合計金2,711,364円を受領したと推認できる。
(実際の居住地から勤務先までの適正な通勤手当の合計は397,734円であるから)Xは、Y社の損失において2,313,630円を不当利得したことになる。
Xは、長期間にわたり、過大に通勤手当を請求し、その累積額がこのような多額に及んだものであり、Y社の就業規則の定めた懲戒事由に該当する。
(通勤手当の不正受給に加えて、Xの勤務不良を併せれば)Y社は本件懲戒解雇を行うに足りる十分な根拠があるものというべきである。
解 説
本事例をはじめ、過大な通勤手当の受給(不正受給)をした従業員を解雇した場合に、その解雇が有効かを判断するにあたって、裁判所は次のような事情を総合的に考慮していると解されています。
① 不正受給の期間、金額
本事例のように、約4年半もの長期間、230万円以上という多額の過大な受給をしていたケースでは、有効という判断に傾きやすいといえます。
現実に多いのは、過大な請求額が1月あたり数千円というケースであり、よほどの長期間でないと有効にならないのではないか、と悩ましいところです。
② 不正受給が意図的か
本事例のように、生活の本拠を東京都品川区としながら、住民票上は栃木県宇都宮市に居住しているとして、企業に通勤手当を請求しているのであれば、従業員が意図的に過大な請求をしていることは明らかです。
不正受給の結果となる場合でも、従業員が必ずしも意図していないこともありますので、この点の確認はしておくことをお勧めします(例えば、親の介護で実家と行き来しているうちに生活の本拠が移ってしまった、配偶者と口論になって家を出たらそのまま長期間の別居になってしまった、ということもあり得ます。)。
通勤手当の不正受給を理由としての解雇は、懲戒解雇でしょうから、それに至る前に弁明の機会を付与しているはずで、その機会に確認しておきましょう。
③ 不正受給を疑われた、指摘された後の対応
本事例のように、届け出ている住所での生活実態を証明するよう企業から命じられても、「証明は出せないが居住している」と主張し、不正受給を続けようとするのは悪質ですので、解雇有効に傾きやすい事情といえます。
反対に、素直に事実を認めて、速やかに差額を支払う従業員も稀にいまして、その場合は懲戒解雇に踏み切るか、非常に悩むところです。
裁判所が重要と考えているポイントをご紹介しましたが、現場で最も頭が痛い点は、解雇に踏み切るかどうかどうかよりも、不正受給をどうやって察知し、どうやって確証を得るか、ではないでしょうか。
本事例は、判決文から察するに、仮差押えの通知が「大森簡易裁判所」から届いたことが契機となったのではないか、と推察されます。
なぜなら、仮差押えの管轄裁判所は「債務者の住所地」であるからです。
他の授業員からの情報提供で不正受給を疑うことは少なくありませんが、「実際に住んでいる場所と違う」という確証を企業が得ることは難しいと言えます(業務時間外は従業員の自由な時間であり、職場の外まで従業員の行動を把握できないため。)。
完全に防ぐことは難しいものの、例えば、電車・バス通勤については定期券を担当者が確認(6か月に1回程度)している企業もあり、負担の少ない方法で、不正を防止する仕組みを設けておくことが望ましいといえます。
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